こんにちは、田雑です。
昨日、「明治日本の産業革命遺産を、世界遺産に登録するよう勧告を行った」というニュースがありました。
その中に長崎の『軍艦島』も含まれている、と聞いて、長崎出身者としてはうれしいニュースでした。
私の生まれ育ったところは『高島』という、島の一週が約1kmほどの小さな島で、
軍艦島と同様、炭鉱の島でした。
そして、海岸沿いを歩けば肉眼で見える距離に『軍艦島』はありました。
幼心に「あそこへ行ったら二度と帰れない、恐ろしい所」とずっと思っていました(笑)。
いまだに上陸したことはありません!
軍艦島と同じく、高島炭鉱の発端となった『高島北渓井坑跡』も勧告の対象となっているとか。
小さい頃に祖父母や両親から聞かされた炭鉱の話を、なんとなくですが今でも覚えています。
24時間3交代でフル稼働で働いていたヤマ(炭鉱)の男の人たちの話や、
夜勤で働く祖父にお弁当を届けに、真っ暗な夜道を一人でよく通った母の話、
石炭の採掘で真っ黒になるからヤマの人たち専用のお風呂があったりとか。
命がけで働いているんだなぁという印象だけは強く残っています。
時代は石炭から石油に移行し、だんだんと需要が減っていく中で、私が小学校低学年の頃に高島は閉山しました。
ほとんどの人が島から離れ、仲良かった友達ともみんなお別れでした。あの時のことを思い出すと今でも泣けてきます。
日本の近代化を支えてきた、というより「私たちが居た場所」という意味のほうが私にとってはずっと強いのですが、
世界遺産登録、なるといいなと願っています!
ちなみに昨年、幼なじみと久しぶりに高島へ行ってきました。
その時の写真を少し。
中央が軍艦島です。
メディアでよく取り上げられるのは反対側からの写真ですが、
私にとってはこちらからの眺めのほうが馴染み深いです。
炭鉱の開発のきっかけとなったイギリスの貿易商人、
トーマス・ブレーク・グラバーさんの別邸跡地です。
ちなみに、グラバーさんちにおジャマしているのが
トーマス・ブレーク・グラバーさんです。
確か、私がいた時はこの銅像、なかったぞ??
当時は石炭のくずの山(通称:ボタ山)が海に流れ込んで
その周辺は濁っていましたが、今はとてもきれいに澄んでいました。
偶然にも、今日は幼なじみが高島へ釣りに行っているらしく、この日のことを思い出していた、というから不思議です。
昔も今も、変わらずつながっている彼女の存在は特別です。
時間が止まったように、ゆっくりの~んびりとしている高島。
みなさんも機会があれば、高島経由軍艦島へぜひお出かけください!
今日はまち住まいるともFREEQとも、なんのつながりもないお話でした(笑)。